「要約する力」としての「言語化力」2025/05/02(金)
「教育痛快バラエティ番組」なるものを主宰しておられる、びーやま氏の記事です。「高学歴・低学歴」という表現がどうも鼻につくのですが(メディアが「ダイヤモンド・オンライン」なのでお察しですが……)、記事内容には共感できるところがあったので、ご紹介します。
「高学歴と低学歴の差が最も出るのはどこか」。学歴を社会から切り離すことのできない本質的な理由 | 17歳のときに知りたかった受験のこと、人生のこと。 | ダイヤモンド・オンライン https://t.co/JnWVfgG2Uw
— ダイヤモンド社 (@diamond_sns) April 29, 2025
びーやま氏は、「高学歴・低学歴」の違いとして、「言語化」のところで差が出る、と感じておられるそうです。以下は、記事中で紹介されている「どうしてその大学を選んだのか」という質問に対する回答の例です。
「将来、弁護士になりたくて法学部一本で考えていたんですが、立地と偏差値的にバランスがいいのが今通っている大学だったので決めました。もう1つ上のレベルの大学にも興味はあって、推薦もあったんですけど、学部が法学部ではなかったので一般受験で今のところにしました」
「うーん。まぁ別に大学とかは興味ないっちゃないんですけど、まわりがみんな大学に行く感じだったのと、親が大学は行けって言うんで来たかもしれないですね。学部はとりあえず推薦があったところでって感じですかね。別にやりたいこともないんで」
だいたい同じ長さの2つの回答なのですが、それぞれに込められている内容の量と質が、全く違います。もちろん、もともと明確な意図を持って大学に進学している人と、そうでもない人の差があるのですが、そこをひとまず措いたとしても、大きな違いがあります。まず、最初の方の回答では「法学部一本で」「立地と偏差値的にバランス」「上のレベルの大学」「(推薦の)学部が法学部ではなかったので一般受験」など、自分の考えを具体的に示す言葉がたくさん使われています。一方、2番目の回答では「興味ないっちゃない」「みんな大学に行く感じ」「来たかもしれない」「とりあえず」「やりたいこともない」など、聞き手にとっては何の情報も持たない、無意味な言葉が文字数の半分近くを占めています。この違いが、びーやま氏のおっしゃる「言語化」能力の差です。
この記事は、びーやま氏に対するインタビューの形式になっていますが、びーやま氏とインタビュアーの間で「言語化」についての認識がかなりずれています。インタビュアーの方は、「積極的な印象」や「文系のほうがスラスラ言葉が出てくる」と話を展開されており、「言語化」=「言葉が多く出てくること」というイメージを持たれているようです。しかし、びーやま氏のポイントは、「言葉が多く出てくる」ことではありません。記事の2ページ目にある通り、「聞きたいことをスッキリとまとめて話してくれる」「言うべきところと、省いてもいいところの取捨選択」が重要です。つまり、ここでいう「言語化」の本質は、「伝えたい内容を、枝葉を省いて、最小限の言葉で正確に表現する」ことなのです。
学歴厨に追い討ちをかけるようで恐縮ですが、「偏差値の高い大学ほど『要約』をさせる」という指摘があります。つまり、難関大学の入試を突破するためには、「枝葉を省いて少ない言葉で表現する」ことが求められているのです。その結果、難関大学には、上に述べた意味での「言語化」能力の高い学生が集まります。このような人は、言葉を使ったコミュニケーションが巧みであることから、卒業後に社会人としても成果を挙げるチャンスが多くなります。私は、このことが「学歴が高い方が社会で有利だ」と言われることの、本当の意味だと思っています。(この他にも、人脈や学歴に伴うイメージなど、別の要因もありますが、「個人の属性としての学歴」の意義はここだと思います。)
ひるがえって、本学の立ち位置について考えます。うちに限らず、私立大学の入試では、記述式の問題を数多く課すことは困難です。理由は簡単で、公平に採点するための人手が圧倒的に足りないためです。ただでさえ、国立大学と比べて学生定員あたりの教員数が少ない上に、滑り止めで受験する人が多いために受験者数の桁が違います。必然的に、合格する人の「要約する力としての言語化力」の平均値は低くならざるを得ません。
そうだとしたら、入学してくれた人、本学を選んでくれた人を、頑張って鍛えるしかありません。私のアプローチでは、まず講義科目で「自分の考え」の言語化を求めていくことから始めます。次に、実験科目で、レポートの添削を通して、「枝葉を省いて正確に書く」トレーニングをします。仕上げは研究室内のレポートと卒業論文です。大学院まで行けば、さらにレベルアップできるでしょう。指導力が問われるところなので、頑張ります。