科学における「愚かさ」の重要性2023/04/29(土)
Twitter でこんなのが流れてきました。2008年の J. Cell Science に掲載された「エッセイ」です。
【科学における”愚かさ”の重要性】
— Dr. すきとほる | 疫学専門家 | AIツールを毎日紹介🧪 (@iznaiy_emjawak) April 28, 2023
"Cell Science"に掲載された一つのエッセイに感動しました。
研究者として生きる中で感じ続ける「どうして私はこんなに愚かなの?」という卑屈な感情、その感情への報いが見つかったように感じます。
全文の翻訳👇… pic.twitter.com/V4WmTsZNPU
原文は以下の場所にあります。"The importance of stupidity in scientific research," M. A. Schwartz, J. Cell. Sci. 2008, 121, 1771. https://doi.org/10.1242/jcs.033340 上記の Dr. すきとほる氏は全訳を紹介されていますので、そちらもご覧ください。文中に出てくるエピソード「H. Taube に自分の抱えていた(彼の研究分野に関する)問題について尋ねたところ『私にはわからん』という答えが返ってきた」は面白いですね。Taube は 1983 年に電子移動に関わる研究でノーベル化学賞を受賞しており、このやりとりはその数年前だったそうですが、そりゃあわからないことの方が多いでしょう。電子移動に関する研究なんてその後 40 年たった今でも世界中の人が取り組んでいて、今なおわからないことの方が多いと思います。
エッセイの最後の段落にある、科学教育についての記述は示唆に富んでいます。
One of the beautiful things about science is that it allows us to bumble along, getting it wrong time after time, and feel perfectly fine as long as we learn something each time. ... I think scientific education might do more to ease what is a very big transition: from learning what other people once discovered to making your own discoveries.
科学の最大の美しさの一つは、それが私たちに、つまづいたりしょっちゅう間違いを犯したりして、そのたびに何かを学ぶことができさえすれば満足する、ということを許容してくれる点です。...この非常に大きな移行「他の人の過去の発見について学ぶことから、自分自身が発見することへ」をもう少し容易にするために、科学教育にできることがもっとあるのではないか、と私は思います。
そうですね……これは大学教育全般について言えることではあるのですが、特に「科学」分野では、学部教育の最初の段階でもまだ「過去の発見について学ぶこと」が必要なので、移行(意識の改革)があまりスムーズには進んでないのかも知れません。学部教育のカリキュラムの中で、かなり意識的に「自分自身が発見する」段階を取り入れていかなければならないと思います。
あと、「愚かであることを自覚する」ことは、「謙虚である」ことにもつながります。近頃世間で発言力のある人は、「謝ったら死ぬ病」といいますか、何事かについて「自分が知らない」ことを絶対に認めない、悟られたくない、と気張っている人が多いように感じます。どんな人にも「知らない」ことはあるし、しかも「知っている」ことよりも「知らない」ことの方がはるかに多いはずです。そのことをもう少しみんなが思い出せば、なんでも知っているようなフリをする人には疑いの目が自然に向くようになるだろうし、謙虚で誠実な人がもっと評価されるようになるでしょう。そうなれば、世の中ももう少し生きやすくなるんじゃないかな、と思います。