「知の体力」(永田和宏著、新潮新書)2018/11/23(金)
細胞生物学者であり、高名な歌人でもある永田和宏先生が、主に大学で学ぶ人を念頭に「知」の力を説く本です。いきなり、「答えがないことを前提として」と題された章から始まります。そして、高校までの学びと、大学での学びがいかに異なるかが力説されます。
先生が大学に入学された時、入学式での総長(京都大学では学長のことを総長と呼びます)の言葉「京都大学は、諸君に何も教えません」に度肝を抜かれたエピソード。「それはまた、心が震えるような興奮であり、感動でもあった」との述懐は、(私も京都大学卒業生の末席を汚しておりますので)共感できる部分があります。その一方で、「これは優秀な学生だけを相手にしてこられた先生の言い分だな」という思いもぬぐえません。
先生は京都大学では附置研究所で研究を中心に進めてこられたとのことです。附置研にも学生は来ますが、基本的には大学院生でしょうから、学生の中でも知的探究心が旺盛な人が選りすぐられて来るわけです。その後、京都産業大学に移られてからも、国際的に活躍する大学院生を多数輩出されているそうです。それは素晴らしいことだと思いますが、おそらく同大学の中でも飛び抜けて優秀な一部だけが先生の薫陶を受けられるわけでしょう。残りの学生さんについては、他の教員が引き受けてなだめたりすかしたりしながら何とか卒業させている、というのが実情じゃないでしょうか。「ごく一部の優秀な人が伸びていけばいい、他のヤツは知らん」というのは京都大学の基本的なスタンスですが、京産大でもそれをやっちゃっていいんだろうか。まあそれを承知で先生を招聘されたんでしょうから、それでいいのかな。優秀な人が勝手に伸びていくのに引っ張られて、ぼちぼちな人が一緒に伸びていくことだって大いにありますからね。
それはともかくとして、本書で最も魅力的な部分は、実は「知」ではなくて「情」を描いた部分、最後の「ひたすら聞き続ける」という章だと思います。先生は、トップレベルの知的業績を挙げると同時に、歌を詠むことで情緒を言語化する営みを続けてこられた方です。特に、奥様の歌人、今は亡き河野裕子さんの想い出を語る場面は、美しくて切ない。そこまでで語られる硬質の知的な文章と、文体は一見同じなのだけれども、受ける印象は大きく変わります。二刀流の先生が言葉をあやつる力の奥深さに、感銘するばかりです。