名城大学理工学部 応用化学科 永田研究室
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映画「何者」2016/11/21(月)

映画「何者」を見てきました。私は映画館には滅多に足を運ばないので、映画評めいたものは書けません。単なる感想文として、思ったところを書いておきたいと思います。

この映画は、就職活動をしている5人の大学生の人間模様を描いたものです。主人公は、演劇サークルで活動してきて、就活中もつい人間観察に目が向き、時折警句めいた言葉を発する男子学生(佐藤健)。その周りで一緒に就活しているのが、バンドの卒業ライブを終えて髪を黒く染め直した男子(菅田将暉)、2人のクラスメート(バンドマンの元カノ)で真面目かつ「安定志向」の女子(有村架純)、留学帰りで絵に描いたような「意識高い系」の女子(二階堂ふみ)、彼女の同居人で芸術家気取りの男子(岡田将生)。エントリーシートや「一分間での自己アピール」など、就活で定番のテーマを織り交ぜながら、自分が「何者」であるかを模索する若者の苦しい胸の内が描かれます。

登場人物たちの心理は、セリフや表情だけでなく、ツイッターへの書き込みでも語られます。一部ネタバレになってしまいますが、「もう一つのアカウント」で就活中の仲間に対して冷笑的な発言を続ける人物、そしてその人物を強く非難しつつ、自分も「ツイッターで自分を実況中継していないと立っていられない」と泣き崩れる人物。ツイッターは、不安に押しつぶされそうな彼らの自我を辛うじて保つための拠り所になっているのですが、そこに書き込まれている内容は、なんとも痛々しく、切ない。

就活で内定がとれなかったとしても、それは別に人格を否定されたわけではない、単に「その会社と縁がなかった」というだけのことなのだ、というのはみんな「頭では」わかっていると思うのです。でも、皮膚感覚としてはそうは思えない。エントリーシートやグループ面接で「自分の全人格」を力一杯アピールしたのに、それがあっさりと否定されるわけですから、自分の存在意義に疑問を感じてしまうのも無理はない。現代日本では、これを乗り越えて行くのが「大人への通過儀礼」になっているのかな、とも思います。善し悪しは別にして、現実問題として。

この映画は、「就活に悩む若者を力強く応援する」ようなものではありません。最後まで、もやもやした割り切れなさは残ったままです。それが、若者のリアルなんだと思う。この映画が、大学生のみなさんに支持されているのかどうかはよくわかりません。私が見た時には、観客は10人ぐらいしかいませんでした。もうすぐ上映期間が終わりそうですが、あまり話題になっているとも聞きません。「あんまり見たくないな」という気持ちの方が強く働くかもしれませんね。

一つ感じたのは、ツイッター絡みで、「他人と『つながらない』勇気」を持てる人は強いんじゃないかな、ということです。SNS がない時代にも就職活動はあって、若者は今と同じように「何者」であるかの模索をしていたわけですが、やり切れない思いは「日記」に書いていたりしたわけですよ。日記帳を他人に見せることはありませんから、どんなに毒を吐いていても他人を傷つけたりする恐れはない。ツイッターを非公開にすることもできますけど、結局 SNS に書き込んでいる時点で、「他人に見てもらいたい」という欲求は持っているわけです。それは回り回って自分の評判を落とすことにつながりかねない。

この映画の中でも、山田孝之扮する「理系の院生」が「俺ツイッターとかやらないからわかんないんだけどさ」とさりげなく言う場面があります。彼は年上であることも手伝って、少しだけ「大人」の余裕を醸し出している訳ですが、その彼が「SNS はやってない」と断言していることは象徴的です。今の時代だと、「つながらない」状態を維持するには少なからぬエネルギーを必要としますが、そういう状態で自己のバランスを保てることが望ましいんじゃないかな、と思っています。

それにしても、うん、山田孝之はいいな。好きだな。有村架純ちゃんもかわいかったけど、あんまりそれを言うと女性陣に総スカンを食らいそうなので、やめておきます。

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