Yes, Virginia, There Is a Santa Claus2013/12/05(木)
"The Chemist's English" (Robert Schoenfeld 著、VCH) という本があります。著者の Schoenfeld 氏は Australian Journal of Chemistry の編集者を長く務めた方で、本書では化学者がつい書いてしまう「正しくない英語」について、たくさんの実例を挙げて解説しています。といっても、偉そうな態度で「誤りを正してやる」という雰囲気ではなく、あたかも友人の化学者に向けた節度あるおしゃべりのように、親しみと敬意を込めて語っているのです。きっとオーストラリアの化学者コミュニティはこういう和気あいあいとした雰囲気なのでしょう。序文で著者自身がそう書いています。また、Schoenfeld 氏は劇作家を志したこともあるそうで、文章がとても生き生きとしてユーモアにあふれています。そのかわり、読みこなすにはそれなりの英語力が必要になりますが…
さて、この本の第25章のタイトルは "Yes, Virginia, There IS a Temperature" となっています。最初に読んだとき、このフレーズにはきっと元ネタがあるに違いないが、いったい何だろう、と思ったのです。本文には "Think back to the exchange of letters known as 'Yes, Virginia, there is a Santa Claus'" という一節が出てくるのですが、その "the exchange of letters" がわからない。何の注釈もないので、英語圏の人なら誰でも知っている話なんだろうけど、歌の一節かなんかだろうか、と疑問に思っていました。謎が解けたのはずいぶん後で、たぶんインターネット検索ができるようになってやっと見つけたと記憶しています。今のみなさんならすぐに見つけられるでしょう。これですね。
"Yes, Virginia, there is a Santa Claus."
1897年9月21日付の "The Sun" 誌の社説です。世界中で最も有名な社説、とも言われています。8歳の Virginia O'Hanlon が The Sun に投稿した質問(サンタクロースは本当にいるのですか?)に対して、編集者の一人 Francis Church が真摯に答えたものです。サンタクロースは「いる」という回答なのですが、決して子供相手にごまかすような答えではなく、むしろ大人に対して語り聞かせるかのような内容になっています。味わい深い文章です。日本語訳は「サンタクロースっているんでしょうか?」(中村妙子訳、東逸子絵、偕成社)、または青空文庫の「サンタクロースはいるんだ」(大久保ゆう訳)でどうぞ。
この一節が「化学者の英語」とどう関係するのかって? それを説明するのはちょっと大変です。Schoenfeld 氏は "The temperature is 393 K." という文を例に挙げて、科学論文に現れる "to be"(〜である)という単語は幅広い意味を持ち得ることを語り、その中で上の引用が出てくるのです。もう少し長く引用してみましょう。(本書 103 ページ)
For the enquiring child the criterion of being is the possession of a set of (white-whiskered) space−time coordinates, proximal to those of chimneys and red-nosed reindeer. For the journalist composing his homily, who treats Santa Claus as a synonym of generosity, the criterion for being is the property of definable-ness, of having perceivable limits.
この二文は本当に難しい。質問した子供にとっては "to be" とは「ある空間・時間に実在する」という意味だけど、答えた編集者は "to be" を「定義できる、範囲を規定できる」という意味で使っている、と言っているのです。まあ、こんな文がすらすら読めるようにならなくても化学者としては支障なくやっていけますけど、せっかく文才のある人が化学者に向けて遺してくれた貴重な本なのだし(Schoenfeld 氏は 1987 年没)、もたつきながらも読めるようになるといいなあ、と思っています。こんな難しい文ばかりじゃないんでね。第30章の "A Clash of Symbols" などは修士課程ぐらいの人ならわりと楽に、たぶんくすくす笑いながら、読めるでしょう。