硤合憲三先生にノーベル化学賞!2026/10/08(木)
昨日の夕方、ニュース速報を見て、驚いて思わず「おおっ」と声が出ました。同業者のみなさん、予想されてました? 私はまったく予想していませんでした。もちろん硤合先生の仕事は知っていたし、素晴らしいとも思っていました。しかし、最近のノーベル化学賞は、社会貢献に大きく寄っている印象を持っていて、こういう純粋に学術的な意義を持つ成果が対象になるとは思っていなかったのです。久しぶりに「ノーベル賞委員会やるやん」と唸りました。
硤合先生の業績は、不斉増殖現象を実験的に実証し、しかもそれを極めて完成度の高い形で提示されたことです。不斉増殖現象とは、鏡像異性体の混合物が反応する系で、初期状態で一方の鏡像異性体が過剰に存在する時、反応が進行するにつれて過剰率が増大する現象です。理論上は、生成物が自己触媒的に反応を加速するならば、このような現象が起きることは予想できます。しかし、化学においては「理論上可能である」ことと「実在の物質で実験的に実証する」ことの間には非常に大きなギャップがあります。「実験的に実証した」という成果には大きな意味があるのです。
今回の受賞業績について、一般向けのメディアでは「医薬品の製造に応用できる」「生命の起源の解明につながる」という紹介がされています。「医薬品の製造に応用」は、そう言えなくはないとは思いますが、一種のこじつけですね。学術研究について「それって何の役に立つの?」という発想しかできない人向けの、テンプレート回答でしょう。「生命の起源」についてはもう少し深い意味があります。地球上に現存する生命は、すべて鏡像異性体の一方だけを選択的に利用しています。現存する生命は、自分が持つ酵素触媒を使って一方の鏡像異性体を再生産していますから、特に不思議はないのですが、「最初はどうやって始まったんだ?」というのが大問題です。
隕石とか小惑星とかから「アミノ酸が発見された」というと、一応ニュースになるじゃないですか。生命は宇宙起源であることの証拠だ、とかなんとか。でも、そのアミノ酸がラセミ体(両方の鏡像異性体の等量混合物)だったら、大して意味はないわけですよ。ホモキラルな(=鏡像異性体の一方だけから成る)有機物が発見されたら、それは全く違った意味を持ってきます。今回の受賞を機会に、そういう方向に目を向ける人が少しでも増えてくれると、有機化学者としては嬉しいですね。
なお、私にとっては、硤合先生といえば一番最初に思い出すのがこの反応です。今回のノーベル賞とは全然関係ありませんけど、水素化ホウ素ナトリウムをうまく使うとエステルやニトロ基の還元ができる、という報告です。この一連の成果を見るだけでも、硤合先生は「こんなことができたら面白いんじゃないか?」という発想と、職人的な技術の高さを併せ持った方なんだな(そして理科大の学生にそれを伝えてこられたんだな)ということがよくわかります。
