ChemRxivにプレプリントを投稿した2024/05/24(金)
化学分野のプレプリントサービスである ChemRxiv(ケムアーカイブと読みます)に、プレプリントを初めて投稿しました(DOI: 10.26434/chemrxiv-2024-ttjgv)。
プレプリントというのは、論文を学術雑誌に投稿する前に、原稿の段階で公開するものです。完全にオープンであり、研究者でない一般の読者でも自由に読むことができます。査読を通っていないので、「まだ学術的には裏付けられていない内容」であることには、注意が必要です。
数学・物理分野では arXiv が古く (1991年) からあり、プレプリントの発表は学術活動の一部として広く認知されています。生命科学分野では bioRxiv が2013年に設立され、利用が広まっているそうです。化学分野では、査読を重視する空気が非常に強いと感じていたので、プレプリントは広まらないんじゃないかと個人的には思っていたのですが、2016年から検討が始まったようです("ACS launches chemistry preprint server," Chem. Eng. News)。その後の動きは意外に早かったですね。現在 ChemRxiv は、アメリカ化学会・王立化学会(イギリス化学会)・ドイツ化学会・日本化学会・中国化学会の共同運営となっています。この5つの大きな化学会が公式に関与しているとなれば、化学分野での当面の方向性はこちらに確定したと見てよいでしょう。
プレプリントの役割は、公式には「競争の激しい分野で、査読プロセスを待っていると、競争相手に先を越されてしまうことがある。競争相手が査読者の場合に、アイデアを盗まれることもある。これを防ぐために、査読プロセスに先立って内容を公開しておき、優先権を確保する。」ということになっています。これはもちろんこの通りなのですが、あまり大きな声では言えない別の役割もあると思っています。それは、「査読を通せるレベルまで到達できなかった研究成果を、何らかの形で可視化する」ことです。
たとえば、あるアイデアの元に研究を開始したけど、好ましい結果が得られなかった場合や、そこそこのレベルまで達してはいるんだけど、査読プロセスを通すための最後の関門がなかなか越えられない、という場合を考えてみます。査読論文のみが研究成果として認められる世界では、これらの研究は「なかったこと」になります。もちろん、その研究者個人の評価としては、それでいいと思います。一定のレベル以上に到達した業績だけをカウントすることで、その研究者の能力を測ることができます。でも、その研究自体を「なかったこと」にしてしまってよいのでしょうか? 特に化学分野では、「ある物質を合成して、その性質を調べる」という作業が研究の大部分を占めています。性質を調べた結果、その研究者が望んでいた性質は得られなかったとしても、別の人が見たら別の使い道が見つかるかもしれない。「途中段階」までであっても、その結果が公開されていれば、他の研究者がそれを引き継ぐこともできます。公開されていなければ、別の研究者がまた最初からその研究をやり直さないといけません。これは社会全体にとっては損失です。
プレプリントのこういう使い方は、公式に語られることはないでしょう。そんなことを容認したら、質の低いプレプリントが量産されて、サーバの維持コストも、有用な情報を見つけ出すための人的コストも、一気に跳ね上がってしまう、と危惧されるからです。でも、本当にそうかな?とも思います。質の低い論文なんて現状でもいくらでもあるし、一見「査読プロセスを通っている」かのように見えるけど実態はそうでない、という残念なジャーナルも多数存在しているわけです。そうだとしたら、いっそのこと「査読は通ってない」と明示してある発表の場が公式に存在している方が、まだマシなんじゃないかと思います。
私が今回発表したプレプリントは、これから査読プロセスを通すつもりですが、なかなかハードルは高いかもしれません。いつまでたっても "Now Published" がつかなかったら、諦めたのだと思って下さい(苦笑)