名城大学理工学部 応用化学科 永田研究室
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国立大学法人法の改正問題2023/11/19(日)

国立大学の組織などは、国立大学法人法によって定められています。この法律が、急に審議入りして、あまり議論も行われないまま成立へと向かっています。法人化以前の国立大学は、基本的には教授会議での教員の合意のもとで運営がされていたのですが、法人化後は学長がリーダーシップをとることで、教員の発言力を小さくする方向に動いてきました。今回は、それをさらに進めて、外部委員を含む運営方針会議が方針を決定し、学長がそれに従う、という方向に進めようとしています。

これに対して、反対の声が上がりつつあります。

デモクラシータイムスもマガジン9も、いわゆる「左系」のメディアですから、頭から拒絶する人も少なくないかもしれません。ただ、想田氏が指摘する下の2つの論点は、思想的背景に関わらず、気に留めておいていただきたいな、と思います。

学問の自由や、それを担保する大学の自治がなぜ重要なのかといえば、それなしにはデモクラシーは成り立たないからである。

(中略)これが大学のみならず、日本社会のデモクラシーの問題でもあるからである。

「デモクラシー」(民主主義)という言葉が抽象的で難しいのですが、私はこれらの論点を次のように解釈しています。

日本の国内で行われている様々な活動のうち、政府の活動・産業界の活動・学界の活動の3つを考えます。産業界の活動が国に富をもたらし、その富が広く行きわたるように政府の活動が調整します。学界の活動の意義は何でしょうか。多様で複雑な現代社会では、政府や産業界の活動に貢献できる人材を育てることが一大事業になりますし、また複雑な現代社会そのものや、それを支える自然科学の原理を常に追求し続けることが必要です。これらが学界の活動の意義と言えるでしょう。そして、これら3つの活動が、お互いに緊張感を持って牽制し合いながら、それぞれの役割を果たすことが重要です。

それでは、「学問の自由」の意義はどこにあるのでしょうか。それは、これら3つの活動が「独立している」ことが、健全な現代国家の運営に不可欠である、という点にあります。学界は、政府のように統治のための権力を持っていませんし、産業界のように富を生み出す能力がありません。それにも関わらず、学界の発言権をある意味「温存する」ことが重要なのは、それが「誤りを正すための第三者の目」として機能するためです。

「第三者の目」が重要であることの大前提は、「すべての人間は不完全である」という絶対的な現実です。仮に、完全な叡智を備えた支配者があるとすれば、支配者が産業活動も学術活動も完全にコントロールすることで、永遠の平安を得ることができるかもしれません。しかし、そんなことは不可能です。そこで、一人の人間ではなく、国家構成員のある一定部分に「批判的精神を育てる」役割を任せることで、国家全体の活動としてのバランスをとることを目指すのです。これが、現代の成熟した国家がそれぞれ「アカデミー」(日本では日本学術会議)を持っている理由です。

菅義偉元首相が、日本学術会議の構成員候補の一部を任命しなかった時、多くの人が「国立大学の教員が国の方針に従うのは当たり前、それに歯向かうから外されたんだろう」という感想を持たれたと思います。しかし、日本学術会議の存在意義を思うと、この考えは的外れであることがわかるでしょう。学者が自分の専門分野に、知的な誠実さをもって取り組んだ結果、「政府が目指している方向」がおかしいと感じたのであれば、それを発言できなければならない。そのようなシステムを維持していくことが、この国を成熟した国家として維持していくことにつながるのです。

今の与党政治家は、まるで「選挙に勝った自分は全能だ」とでもいうような、とても貧しい価値観にとらわれているように思います。あなたは全能ではなく、間違いを犯すのです。それはあなたがポンコツだからではなくて、すべての人がそうなのです。だから、間違いを犯しても大丈夫なような仕組みを作って、それを維持していかないといけないのです。今回の国立大学法人法案は、この仕組みを壊すことの一歩になっていることを認識してください。

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