大学院はビンボーの入り口じゃないぞ2018/04/05(木)
「現代ビジネス」にえらい煽り記事が載ってます。「4割が借金300万円超え…大学院に進んだら一生ビンボー暮らしです」。大学院と言っても、修士課程(最初の2年)と博士課程(そのあとの3年)はぜんぜん違うんだから、タイトルに「博士課程」と入れなきゃダメでしょう。この話は、修士課程修了者には全く当てはまりませんので、念のため。修士卒の人については、こちらを見てください。学部卒より修士卒の方が生涯賃金が4000万円以上高いよ、という話です。
さて、博士課程修了者の話に戻ります。彼らはなぜそんなに辛い立場に置かれているのでしょうか。確かに、大学の研究職のポストは限られていますが、それは最初からわかっている話です。博士課程修了者が全員大学の研究職につけるわけがないんだから、運良くポストを取れた人以外は、別の道を探さないといけない。いろいろな可能性に対応できるように危機管理をした上で、博士課程に進学しないといけないのです。当たり前の話です。自分の人生なんだから。
大学のポストを取れるのは「運」なのか? 確かに運はあります。タイミングも、コネも、あります。でも、一番大事なのは、大学教員としての業務遂行能力です。研究能力だけじゃなくて、研究室をまとめたり、研究費を獲得したり、雑務を切り盛りしたり、学生の理解度に合わせて講義を組み立てたり、人生に悩んでいる学生の相談に乗ったり、実にいろいろな能力が大学教員には要求されます。こういう能力が高い人は、次々と常勤のポストに引き抜かれていきます。なかなか大学のポストにつけない人は、どれかの能力があまり高くないと見られているんじゃないでしょうか。「俺はこんなに論文を書いているのに」とか愚痴っている人をたまに見ますが、ちょっと評価のポイントがずれている気がします。そんなだから採用されないんじゃないの?
上記の記事には、民間企業に転職できた人の例が一つも載っていません。実際には、民間企業に転じて成功している人は、いくらでもいるんですよ。年収はほぼ間違いなく大学教授より高いと思います。そういう人は、ちゃんと高い意識を持って、ポスドク時代から自分の能力を(民間で通用するレベルに)磨いてきています。学生やポスドク時代の研究テーマが何であったかはあんまり関係ありません。博士号を持っている人は「大まかなアイデアから研究計画の道筋を立てる」能力があるわけですから、そこを磨いてアピールできるかどうかです。「知識が『オタク化』している」人が登用されないのは当たり前ですから。
ただ、「研究テーマ」はあんまり関係ないのですが、「研究分野」は関係ありますね。たとえば、化学分野で博士号を持っている人が IT 企業に行っても、「博士持ち」としての活躍は難しいでしょう。材料開発に特化した AI を作る、というような仕事ならいけるかもしれないけど、長くその企業で活躍できるかは疑問です。
結局、自分の将来をよく考えましょう、ということですよね。博士課程に進学するぐらいだから頭はいいんでしょうけど、その能力を「社会の中に」どう当てはめていくのかは、自分で考えないといけません。