キログラムの定義が変わる2017/11/13(月)
少し前に、産業技術総合研究所(産総研)のプレスリリースで、「質量の単位『キログラム』の新たな基準となるプランク定数の決定に貢献」という記事が出ていました。科学の歴史に名を残す重要な成果なのですが、記事を読んだだけではよくわかりませんでした。もう少し背景を調べてみたので、解説してみたいと思います。(私はこの分野の専門家ではないので、間違いを書いているかもしれませんが…)
まず、「国際単位系 (SI)」についてのおさらい。国際単位系とは、物理量の単位を7つの基本単位の組み合わせとして表現するものです。7つの基本単位とは、キログラム (kg)・メートル (m)・秒 (s)・ケルビン (K)・アンペア (A)・モル (mol)・カンデラ (cd) です。それぞれの単位の定義については、計量標準総合センターの「基本単位の標準」を参照しましょう(Wikipedia の「SI基本単位」の項目が手っ取り早いのですが、本日現在では情報源が明示されていません。こういう情報は参考にしてはいけません)。この中で、唯一「キログラム」の定義だけが、「キログラム原器」と呼ばれる人工物の質量に依存しています。キログラム原器は注意深く管理されていますが、表面汚染などの問題により、50 µg 程度の質量変動は避けられないとされています(藤井賢一,「計測と制御」, 2014, 53, 144-149)。
そこで、キログラム原器に代わる質量の基準が検討されるようになりました。候補は2つあります。1つは、アボガドロ数を基本定数と考えて、「アボガドロ数個の12C原子の質量の 1000/12 倍」を 1 kg と定義するもの。もう1つは、アインシュタインによる光子エネルギーの式 E = hν と、質量とエネルギーの等価式 E = mc2 を使って、プランク定数 h の倍数として 1 kg を定義するものです。一番目の定義の方が化学者にはなじみの深いものですが、プランク定数はアンペアの定義にも関係しており、より高い汎用性を持ちます。そこで、プランク定数に基づく二番目の定義が採用されることになりました。
実は、アボガドロ数とプランク定数の比はすでに相対誤差 7.0×10-10 という高い精度で決定されています(P. J. Mohr et al. Rev. Mod. Phys., 2012, 84, 1527-1605)。アボガドロ数はプランク定数とは独立に測定することができますので、アボガドロ数を精密に決めることができれば、他の方法で決定したプランク定数の値と比較することによって、プランク定数の精密さをより確かにすることができます。
そこで、国際研究協力「アボガドロ国際プロジェクト」が発足し、そこに産総研も参画することになりました。プロジェクトの目的は「アボガドロ数を精密に測定する」ことなのですが、上に示した理由により、これは「プランク定数を精密に決定する」ことにつながり、さらに「キログラムの新しい定義を決定することに貢献する」ことになるわけです。先のプレスリリースは、このプロジェクトにより、「アボガドロ数が精密に測定され、先に測定されたプランク定数の値と合理的に関連付けられた」という成果が得られた、という発表だったわけです。
研究の詳しい内容については、元のプレスリリースを読んでみてください。「すごいな」と感心してほしいのは、ある物理量(この場合はケイ素球体の直径)を相対誤差 2×10-8 という高い精度で測定する技術があること、そして日本・欧州・米国のそれぞれの研究機関で決定されたプランク定数の値が同程度の精度で一致していることです。科学の根幹である「再現性」の究極の姿を私たちは見ているのです。この研究には、実用的な意味ももちろんあるのですが(微小な質量を測定するための基準と、それを実現するための方法が開発できた)、それ以上に「すべての科学を支える土台作り」に貢献した、という重大な意義を持っているのです。産総研のチームに拍手を送りたいと思います。
プレスリリースの「用語の説明」の中で、「プランク定数」の項に「プランク定数をもとに 12C の質量を決定し、そこからキログラムを定義できる」と読み取れる記述がありますが、これは誤解を招くように思います。現在提案されている新しいキログラムの定義は、「周波数 c2/h の光子のエネルギーと等価な質量(c は光速度、h はプランク定数)」で、12C の質量には依存していません。(参考:Bureau International des Poids et Mesures: FAQs: Q14)